第14回メルマガ

 

一時的に第14回のメルマガをはてなブログに公開します。このような内容で、毎週火曜日の20時に更新しているので、登録の参考にしてください。無料なので試しにでもぜひ。

 

⚪︎雑記

今週から宮古島にいます。弟が住みこみで沖縄で働いていて、 借りているアパートで一緒に生活しています。

毎日、海まで散歩をしたり、適当に本を読んだり、 文章を書いたり、だらだらと絵を描いたりしています。 しばらく静かな環境で制作とかしようと思っています。

弟に「沖縄どう?」と聞いたら「 みんな親切にしてくれるし好きなひともたくさんいるけど、 自分は東北で育った人間だから、 この地域に特有のだらしなさみたいなものに馴染めないでいる」 と言っていました。

育った地域や気候は、 人間性や価値観に結構な影響を与えているものだと思います。 自分も、地元の岩手を離れてしばらく経ちますが、 見えないところに隠していても、 心の奥のほうには静かな雪景色が広がっているような気がします。

 

⚪︎日記

2/22

ジャッキー・ブラウン」を観た。 タランティーノはいちばん好きな映画監督で、 なんだかすべてに胸が高まるような作品ばかりだ。 年を取るのもそんなに悪くないんだよ、 と言ってくれているような優しさと愛に満ちた映画だった。

2/23

Potsunen」 の過去のアーカイブYouTubeにいくつかあがっていた。 元ラーメンズ小林賢太郎のひとりコントで、 人間ひとりが舞台に立ってできる表現で、 こんなに広がりのあるものが作れるのかと感動する。

演劇やコントが好きなひとがいればぜひ。 ひとつの動画で2時間くらいあるので、 なかなか気が重いとは思うけど、とりあえず「THE SPOT」をちらっとでも。

2/24

弟とふたりでアパートの近くの居酒屋に行った。 知らないおじいさんたちに泡盛をたくさん飲まされた。 オトーリという宮古列島で行われる風習があって、 ぐるぐると泡盛を注いだグラスがまわってきて、 みんなべろべろになっていた。

2/25

沖縄に来てからずっと曇っている。 弟はせっかくなら晴天のきれいな海を見せたいと言っていたが、 自分は体質的に日光に弱いからむしろ助かっている。 曇りの日の夕暮れの海を眺めていると、心が穏やかになる。

2/26

羊文学のフクダヒロアさんがファンクラブのブログで「 味のない水が美味しい」を紹介してくれていたらしい。

羊文学、好きなバンドだからとても嬉しいけど、 どんなひとに褒められても同じように嬉しいと感じています。 いただいた手紙も大切に保管しています。感想、 一生懸命書いてくれたことを思うとどんなものでも愛おしいので、 沢山伝えてくれると嬉しいです。

 

⚪︎ベストコンテンツ

Potsunen「THE SPOT」

・リトルドラゴン「Disco Dangerous」

リトルドラゴンはスウェーデンのエレクトロバンドで、 ボーカルの爽やかだけど寂しげな声色が魅力的です。

 

⚪︎作品

今回は、上記写真の猫のスケッチです。

東京だとあまり野良猫を見ないので、 野良猫をみると嬉しくなります。

※作品は、このブログでは割愛しています。

 

⚪︎お便り

「輪湖さんが大学生の頃に出会って気に入ったものや、 いまの輪湖さんが大学生の頃に出会いたかったなと感じるものを教 えてほしいです。」

学生時代の体力と時間がある時期に、 長い小説や難解なものを読んでおいてよかったと思います。 特にドストエフスキーの「罪と罰」は読んでよかったです。 あとは、サルトルの「嘔吐」を読んで、 大学を休学しようと思ったので、「嘔吐」 は人生を左右した本でした。

大学生のときに出会えてよかった本はあげたらきりがないのですが 、いくつか列挙するので興味がある本があればぜひ。

川端康成「雪国」

ジャン・ジュネ泥棒日記

カミュ「異邦人」

林芙美子「放浪記」

・ジッド「狭き門」

あと、古本屋や本屋の棚をずっと眺めていると、 不思議と自分に必要そうな本が手元にやってくるので、 あてもなくひたすらふらふらとしてみるのも一興だと思います。

 

ご意見ご感想などあれば、 気軽に下記メールアドレスまで。

wako.goodnews@gmail.com

 

それでは、また来週🌲

メルマガはじめます

 

 

「Good News」という名前で、無料のメルマガを始めることにしました。

毎週、火曜日に更新していきます。

内容としては、日記とか雑記に近いものになると思います。自然に会話ができて、息のしやすい環境で、最近あったことや思ったことを気軽に喋るような。文章形式の短いラジオとか、定期的に届く手紙のようなものを目指していきたいと考えています。

いまの世の中、引きのある有料なコンテンツも、質のいい無料のコンテンツも溢れているのに、それでもみんなが幸せになっているような実感があまりなくて、そういう世界が嫌で、何ができるのか考えていました。

SNSやブログは開けすぎていて個人に向けられている感じが希薄だし、LINEは日常的すぎるので、メールがいちばん「あなたに届いてほしくて書いています」と感じられるような媒体に近いと思い、メルマガをはじめることにしました。

まず、メルマガという言葉自体、聞きなじみがないひともいるかもしれません。メルマガとは、定期的に送られてくるメールのことです。登録すると、定期的にメールが送られてきます。企業が広告に使ったりもします。

登録するのにお金はかからなくて、メールアドレスだけ入力すれば簡単に登録できます。登録解除も簡単です。

作家、画家として、活動していくのにお金が必要だし、はじめは有料のブログにすることも考えましたが、自分が何かを届けたいひとのなかには、どうしようもなくお金がなかったり、生活に余裕がなかったり、まだ学生でお金を自由に使えなかったり、そういう時期にいるひともいて、そういうひとたちにも届けられる範囲のものとして無料でやることにしました。

将来、ゆくゆくは展示に行きたいと思ってくれたり、作品に興味を持つきっかけになったりしたら、いいのかなと思っています。

話は変わりますが、自分が辛くてどうしようもなかった時期に、毎日自殺することばかり考えていたけど、楽しみにしていたラジオ番組があって、その曜日まで生きようと思えました。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、そのラジオのおかげで延命されたと思っています。

メルマガをはじめたくらいで、誰も救えないかもしれないし、自殺してもしなくても別にいいんだけど、火曜日まではとりあえず生きようとすこしでも感じてくれたら、それ以上に望むものはありません。

大風呂敷を広げましたが、自殺をとどまるにしてはかなり脆弱な内容かと思います。本当にただの日記のようなものなので、期待していたようなものじゃないかもしれません。それでもとりあえずは軽い気持ちで登録してくれたら嬉しいです。

みんながみんな、自分ためだけに生きているわけじゃなくて、やさしい気持ちでまわっている世界だと思ってくれるように頑張ります。

好きなもの好きと言いたい

 


子どもの頃、画家になりたかった。

モンゴルの高原や名前もよく知らない外国の離島でひとりで絵を描いて生活するのだろうと思っていた。

協調性や社会性が乏しいとずっと言われていたこともあって、漠然とそういう生きかたなら生きていけるかもと思っていた。

しかし、だんだんと大人になるにつれて、自分が大人になって絵を描いている姿を思い描けなくなっていった。

田舎に住んでいて、どうやって絵を学んだらいいのかも分からず、美術予備校がどのようなもので、美大をどうやって受験するのかすら分からなかった。

結局は、経済的な理由などで、国立の大学の手に職が得られるような学部に進学した。

美大生ではないことや、権威的な後ろ盾も肩書きもないことで、自分が絵を描いている理由がよく分からなくなって虚しくなった。

せめてツイッターであげたりしてみようかと思ったけどツイッターを開けばそこには絵の上手いひとが沢山いて怖かった。

見よう見まねでデッサンをしてみようかと思ったけど、よく分からないまま10枚も描かずに挫折した。

だらだらと絵を描き続けていたのは、学生時代に知り合ったひとたちに誘われて、仲間内の気楽な展示に参加するのが楽しかったからだ。

それと、人生でもっとも精神的に不安定だった時期に、絵を描くことはアートセラピーの役割にもなっていたと思う。

たまにすこしだけいい絵が描けてそれをひとが見てくれるのがうれしかった。

 


去年、鎌倉のカフェギャラリーで働くひとから個展の誘いがあって、絵を描くことについて考えに変化があった。

誘ってくれた子は、自分のことを長年ツイッターでみてくれていて、色々な言葉や作品に救われたから恩返しがしたいと言っていた。

「ただの不幸せな偶然」と銘打って行った展示は思っていたより多くのひとが足を運んでくれて、泣いてくれていたひとやあなたのツイートや作品などに救われましたと言ってくれたひとがいた。

自分は別にたいした人間でもなくて教育を受けていなくてそれをずっと恥じていたけど、そんな自分の絵をわざわざ足を運んで見にきてくれてありがたかったです。

かけてくれた言葉のひとつひとつで、救われたのはずっと自分のほうでした。

これから先も自分が権威的な後ろ盾や支援を得られることは見こめそうにないけど、死にたい気持ちだったけどあなたの絵で穏やかな気持ちになれましたと言ってくれたひとがいたから、まだしばらくは絵を描いていても虚しくならずにすみそうです。ありがとうございます。

すこしずつ絵の仕事がもらえるようになって絵が売れるようになって、そういうのも全部あなたがたのおかげです。


最後に、絵を描くことは好きだけどなんだか虚しくなるというひとにとって、自分の存在がすこしずつ大きくなっていくことでエンパワーメントできたらいいなと思う。

美大を卒業していなくても肩書きがなくても、好きな絵を描いていたらたのしい瞬間があって、つらい気持ちが紛れて、きっといつか嬉しいことも起きると思ってほしい。

日本はとくに技術偏重の傾向があって、技術ばかりが評価されたり、ひとの絵に対して心ないリプライが送られているのを見たりすることがある。

絵が好きなひとが、みんなそれぞれ好きなように描ける世界が自分にとって理想に思う。

それは、大きくひろげると絵を描くということだけではなくて、仕事や趣味、好きなものを好きだと素直に言えて、好きなことをしている自分のことを好きになってほしいです。

惨めな気持ち

 

 

最近、高校生くらいの頃に輪湖さんのことを知ってそこから数年間ずっと見ています。と言われることが多くなった。輪湖のことを追っているひとが、どう生きているのか何となく想像がつく。それは自分と重なるからだ。

お互いに二十歳を超えて、社会的に大人と呼ばれるような年齢になった。だけど、腕の傷は一生消えないだろうと医者から言われるし、精神科では精神薬は一生飲みつづけると思ってくださいと言われるし、大人になっても過去は続いている。ふつうに夜になったら涙がながれるし、朝になったら身体は重い。

昔みたいに頻繁にオーバードーズをしたり、泣き叫んだりしないのは、余計に惨めな気分になるだけだと知っているからだ。繊細でいるには社会の目は冷たく、「死にたい」という言葉も、説得力を失いつつある。だれか助けてと常に思う。

誰かの言葉や作品や優しさに救われたとか、世間的には全く関係なくて、ただただ死にたいと言いながら生きているひとと、それだけしか他人には見えないのがとても悔しい。過去のDMを遡ったり展示で久しぶりに会ったひとがいたり、自分も優しい言葉で随分と救われたことを思いだした。

ほんとにほんとに、自殺に成功したひとたちが羨ましい。美しいまま、儚いまま、綺麗に、人々に記憶されるから。自分が死んだら誰かにそう記憶されるかもしれない。死んでしまうことは羨ましい。だけど、自分が死んだら高校生くらいの頃から輪湖のことを見ていたひとたちは、ますます惨めな気持ちになるんじゃないかと思う。

あなたが自分を惨めに思わないように、代わりに輪湖が死にたいまま生きていてもいいと、照らしつづけるね。だから惨めな気持ちになりそうな時は輪湖を見ていてほしい。あなたをひとりにはしないから。そしていつか、輪湖のことが必要なくなるくらい幸せになってほしいな。

海と、地元を失うことについて

 

 

 


‪好きなものを思いつく順で、適当に羅列してみようと思います。‬

 

 

ウミネコ、曇っている日の水平線、古びたトンネル、ウニ、ヒトデの皮膚の感触、クラゲの死体、人間によく懐いた野良猫、防波堤、テトラポット、木の生えている岩、ボロボロの舟、ひとのいない砂浜、波の音、海水の味、寒い日の甘酒、柔らかい雪、かまくら、扇風機のかわいた羽の音、小さな蟹‬

 

 

‪さっき、海を見てきたからかなり偏った結果になってしまいました。いま羅列した好きなものは、むかし住んでいた岩手の町にはすべてあって、いま自分が住んでいる東京の町にはあまりない。

もしも誰かに、岩手にあって東京にないものなーんだ?と言われたら、これを答えてみてください。‬東京のコンクリートジャングルのなか、クラゲの死体があっても100中100人がビニール袋だと思うだろうな。

東京には何でもあるようでないものもちゃんとある。岩手から上京するとき、東京には天狗もいないし河童もいないなんて誰にも訊いていなかったから、ひどく驚いた記憶がある。

 

 

むかし住んでいた岩手県宮古という海の見える町に行ってきた。自分は幼少期を宮古と大槌という場所ですごした。どちらも岩手の沿岸の町で、とても感じのいい場所だったが、小学生のときに引っ越してしまったので、知り合いはほとんどいないし実家もない。だから帰省というよりは観光のほうが近いような気がする。不思議だね。

 

 

たまに、いまとは別の人生のことを考える。自分はかなりいい加減だから、いまと全く別の人生を生きたとしても、こんなの自分らしくないとは思わないと思う。男でも女でもどっちでもいいし、貧乏でも裕福でもどっちでもいいし、日本人でも外国人でもどっちでも構わない。アイデンティティなんてものはない。

明日からウニになったとしても、それなりに生きていけると思う。ウニには脳も心臓もないから不安ではあるけど。本当に明日からウニなっても大丈夫かな。人間とウニの遺伝子って7割くらい一緒だとどこかで訊いたことがあるし、なんとかなるっしょ。大丈夫っしょ。

 

 

いまの人生にこだわりがないだけにいままで無限に分岐してきたパラレルワールドのことが気になるときがある。別に戻りたいとか後悔とかそういうものは全くないんだけど。遠い人生を歩んでいる自分がどうしているか、手紙を出してみたくなる。

「拝啓 ある日、突然ウニになった僕へ そちらはどうですか 元気にやっていますか」なんて書いたりして。でもウニにこれ以上伝えたいことなんて何もないな。手紙はこれで終わりです。突然ウニにされた自分がちょっと不憫な気がしてきた。棘皮動物は哀しい生き物だ。

 

 

自分は三陸の景色がとにかく好きだった。特に大槌では色々な思い出があったし、子どものときに大槌で見た景色は大切な原風景になっている。

あのまま大槌に住んでいたら自分はどうなっていたのだろう。思春期を別の場所ですごして10代になって地元を捨てるように東京に出てきたけど、もしも大槌に住んでいたらそのまま一生涯そこに暮らしていたのかもしれない。田舎の狭いコミュニティで生きている自分はなかなか想像がつかないけど、案外上手くやっていけるのかもしれない。中卒で漁師か土木作業員になるのも悪くない。そんな人生もいいな。

これまでの自分は文学に救われて生きてきたけど、もしも文学が救いとなるような環境じゃなかったら、もしくは文学以外に救われていたら、小説なんて読まなかったのかな。たとえ身体はウニになったとしてもたまに本を読みたいな。あの黒いトゲトゲを手みたいにして。

 

 

‪しかし、大槌に住み続けているパラレルワールドのいまの自分はもう何処にもいない。自分の住んでいた場所は玄関を開けたらすぐに大きな海が見えるような場所だった。

2011年、震災後に訪れたときに自分が見たのは、過去に住んでいた場所や、よく遊んだ場所ではなくてただの瓦礫の山だった。大槌はあの地震津波でいちばん被害のあった町のひとつだった。あのとき、自分が大槌のあの家にいたらきっと死んでいただろう。とてつもなく寂しくて、異様な光景で、なんだか分からないけど悲しいのに笑ってしまいそうだった。大槌に住んでいるパラレルワールドの自分は死んでしまった。それでも自分がもしもその世界線にいて津波ですでに死んでしまったとしても、それはそれで良かったんじゃないかと思っている。亡くなったひとには失礼なのかもしれないけど。自分にとっては、殺されてもいいと思えるくらい三陸の海は尊いものだった。こんな言葉あまり使ったことがないけどいまでもすごく愛している。

 

 

‪まあ、なんだかんだと言っても、いま自分はクラゲの死体でもウニでもない、地元を持たず根なし草みたいに東京であくせくと生きている人間なので、そろそろ現実の生活に戻らないといけない。ポケットにできるだけたくさん三陸の石を詰めて帰って、お土産としてみんなに配ろうと思っている。‬

 

 

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